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中国人の本性: 歴史・思想・宗教で読み解く

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  • 著者:副島隆彦/石平
  • 出版社:李白社/徳間書店
  • ISBN9784198636364
  • 発売日:2013年7月22日
  • 1500円(税込)

<内容>


(まえがきより)
二冊目となる副島隆彦氏と私との対談本は、日中間文化交流の歴史や日中文化の比較論などを論ずるところその主な内容としている。
前回の対談は現実の政治・経済問題をテーマとした「時事論議」であったが故に、時々堅苦しいものとなったり乾燥無味なものとなったりすることもあっただろうと思うが、今回の対談は様相が全然違ってくるのである。
何しろ、数千年の時間を超えて数千キロの距離を超えて、太平洋のような広さと深さを持つ「日中文化」という豊かなテーマを手にしたものだから、手前味噌ではあるが、われわれの対談はまさに天馬行空の如く、縦横無尽にして自由奔放なものとなっていた感じである。
その中では、2人の対談者の間の深刻な対立や白熱な激論もあった一方、日本文化と中国文化の異同や関連性について、生粋な日本人である副島さんと元中国人の私との間には驚くべきほどの意見の一致も多く見られた。時々意気投合して、相手の鋭い高論に思わず膝を叩いてしまうような場面も多くある。少なくとも自分たちにとって、この度の対談はまさに知的刺激と知的満悦に満ちた愉快なものであった。
対談の詳しい内容は読者の皆様の読む楽しみにとっておくが、ここではとりあえず、私自身が考える日本と中国との文化と歴史伝統の相違の一側面を記して、この対談本の導入の部分とさせていただこう。
たとえば、日本の「天皇」という存在と中国歴史上の「皇帝」という存在とは、同じ「皇」という字を用いていても、実にまったく異なったものである。
中国歴史上の皇帝は、いかなる時代の日本の天皇よりもずっと力の強い存在であった。中国の皇帝は「天の子」として宗教的神聖性を持ちながら、絶対君主として独裁的政治権力を手に入れている。彼は紫禁城のような壮大華麗な宮殿に住み、数千人の妃や宮女に囲まれて人間界の栄華富貴を極めた生活を送っている。そして数十万人の官僚たちを手足のように使い、数千万人か数億人の民を己一人の支配下におくことができたのである。
このような中国皇帝の立場は、たとえば江戸時代には京都のひっそりとした一角の「見窄らしい」御所に住み、権力構造から完全に疎外されながら祭祀や和歌の世界に生きる近世の日本の天皇のそれとは、まさに雲泥の差がある。
しかし、一人一人の皇帝にではなく、皇帝家、すなわち帝室たるものに視点を合わせてみれば、中国のいかなる時代の帝室もまた、日本の皇室より何百倍も不幸なものなのである。
万世一系の日本の皇室とは違って、中国の帝室は最初から滅びる運命にあるからである。秦であれ漢であれ唐であれ清であれ、中国史上のいかなる帝室もこの悲惨な運命から逃れたことはない。王朝は必ず潰れ皇帝の家系は必ず滅びるというのは中国歴史の第一の法則である。
だから、日本の皇室は今でも健在であるのに対して、中国の皇帝も帝室も朝露の如く消え去り、今やただの「歴史上」の皇帝と帝室となっているのである。
しかも、王朝と帝室が滅びる度に、皇族たちが皆殺しにされてしまうのも中国史上の鉄則である。
言ってみれば、中国皇帝の子孫たるものはいずれか殺される運命にあるのである。
歴代王朝の創立者の誰もが、前代王朝滅亡の教訓を心に銘記して、「わが帝室だけはあんな悲惨な運命にはまっぴらごめんだ」と誓ったはずである。そのために、開国の皇帝たちは人智の限りを尽くして皇権の強化を図り、政権の基盤を揺るぎない強固なものにした。しかしそれでも、短くて数十年後、長くて数百年後、彼らの作った王朝は必ず滅び、彼らの家系は必ず断絶してしまう。例外は一つもないのである。
それは一体何故なのか。中国四千年の歴史上、この謎を解けた権力者や知恵者は一人もいなかった。が、もし彼らの誰かが、「東夷」の近隣国日本にちょっとだけ目を向け、日本の皇室のあり方を多少とも謙虚に学んでいれば、中国歴代王朝の失敗の理由はよく見えてくるはずであろう。
他でもない。政治権力に頼らない伝統的権威に自らの立脚点をもち、時の政治権力から常に超然たる立場にあるからこそ、日本の皇室は権力の争いや政権の交代などの俗世の有為転変とは無関係に自らの永続性を保つことが出来たわけである。
つまり、権力に無欲であること、権力に自らの存立の根拠をおかないこと、それこそが日本の皇室の最大の強みの秘訣であるが、中国の皇帝のやっていることは、むしろその正反対なのである。
中国の歴史上、皇帝は独裁権力の頂点に立ち、万民の運命を恣意に支配できる絶対者となっている。そのため、権力の腐敗が進み各種の社会的歪みがその限界に来した時、社会的変革、すなわち世直しの断行のためには、万民は結局、古き悪しき権力秩序の頂点である皇帝そのものに反旗を翻らざるを得ない。反動勢力の代表者帝室そのものを葬らざるを得ない。「革命」という漢語の本来の意味は、まさにここにある。
つまり、日本の天皇と違って、あまりにも強大な絶対権力を持っているからこそ、中国の皇帝はいずれか必ずや革命の対象にされて滅ばなければならないのである。
なのに、皇帝たちは革命を恐れて常に権力の強化に走ってしまうのだが、それこそ本末転倒の浅知恵というものであろう。
それに比べると、皇室を権力から超越させることによってその永続性を図りながら、時の権力が民族の直面する難題や危機にうまく対応できない時には、皇室を担ぎ出してそれを中心とする救国体制をあっというまに作り出せるところに、日本の歴史の深い英知があるのだ。幕末・明治の歴史はまさにその好例の一つであるが、老子の言葉を借りていえば、日本の歴史にとって、皇室の存在は常に「無用の大用」なのである。
余談となるのだが、歴史上、日本の天皇は中国の皇帝と対面したことが一度だけある。清王朝の末代皇帝で後に満州国皇帝となった溥儀が日本に訪問した時、昭和天皇に接見されたわけである。
勿論、溥儀の清王朝は今やどこにもないし、清の帝室たるものはもはや存在しない。今の北京にあるのは、習近平という何の権威もない「皇帝もどき」ものである。
唯一、日本の皇室、日本の天皇だけは、今でも、伝統に基づく最高の地位と最高の品位を保ちながら、日本国の守護神として悠然と鎮座されている。
日本の天皇と中国の皇帝はそれほど異なった存在であることがそれでよく分かってくるのだろうが、ある意味においては、日中間における文化と歴史伝統の大いなる相違の根底にあるのは、まさに「皇帝」と「天皇」とのこのような決定的な違いではないのだろうかと思う。
この問題について詳しい議論は対談にもあるので、皆様のご一読を是非お勧めしたいところである。


<目次>

はじめに―石平

第1章 日本がほんとうの中国と出会った時代
鎌倉時代に日本に亡命した中国の知識人たち
漢民族が追いつめられたとき、知識人が日本に来る
太平洋戦争敗戦で失われた中国とのミッシングリンク
ほんとうの中国は、南宋・宋の時代を切り離しては語れない
南宋の精神的な美意識は日本で生命力を得た
西洋の合理思想と通底する中国人の「理気二元論」
織田信長が暗殺されず生きていたら日本の歴史は変わっていたか?
江戸・幕末の知識人に大きな影響を与えた文天祥の「正気の歌」
2・26事件の反乱将校たちにも影響を与えた「正気の歌」
幕末維新思想の源流となった木戸学は朱舜水がつくった

第2章 中国を説く3つの鍵――漢字・道教・三国志
日本人にはわからない多様な中国語方言、漢字統一に至る裏事情
広東省の人には、北京語はズーズー弁に聴こえる
中国は山1つ越えれば言葉が通じない世界
中国は「中華帝国」つくるより、「神聖・中華連邦国」の規模にすべき
中国人口が爆発的に増加したのは、清の康熙帝の税金の緩和から
中国人の貧富の格差をますます広げる「農村戸籍」の桎梏
中国の民衆反乱の歴史の中には必ず、民衆救済の思想があった
中国では、儒教が秩序を維持し、道教は王朝を倒す役割を担った
カラオケバーの中国人ホステスから教えられた三大宗教の正体
それでも南宋の面影が遺された佐加野の風景は美しい
中国の「仁義」思想の裏側には「巨大な悪」が眠る
殺されても、名前を残すことが中国知識人の理想
中国民衆が大事にしている「道教的」なものを大事にすべき
『三国志』の逸話はなぜ日中両国で愛されるのか?
蜀の劉備は敗者であり、魏の曹操が実質の皇帝だった

第3章 中国を動かす原理――「天命思想」とはなにか
日本の中国研究家の知識レベルはどの程度なのか
北宋の政治家・王安石は、士大夫として「天命」を問題にした
王安石が唱えた「新法」の改革とは、一種の「ケインズ主義」
儒教の思想と対立する王安石の「新法」の改革
中国の「易姓革命」を徳川幕府に教えた朱舜水
文天祥の「正気の歌」を貫く「天命の思想」
中国の知識人にとって大事なのは、自分の名前を歴史に遺すこと
共産主義・天命思想など信じていない習近平の世代
中国という国家の実質は「法家」の思想で、飾りが「儒教」
イスラム教徒と中国人の偉さは、嘘をつかないということ

第4章 日本は中国の属国化からいつ脱却したか?
山鹿素行の著『中朝事実』が尊王思想の原点
日本は聖徳太子の時代から中国文化を峻別していた
胡錦濤体制の富国強兵、大国崛起のモデルは清朝にあった
中国を「強大盛国」にしたと評価される新王朝の三代皇帝
知識人階級の聖域を守って虐殺された方考孺
明の時代に、中国の知識人や官僚の権威が衰退した
洋務運動で買弁と言われた李鴻章と伊藤博文
明治維新の日本政府の背後には大英帝国の圧力があった
日露戦争の勝利は大英帝国の援助に支えられた

第5章 中国知識人の心を歪めたアヘン戦争の敗北
アヘン戦争の敗北で、中国に植えつけられた「屈辱史観」
欧州債務危機への支援要請で、中国は屈辱史観の恨みを晴らした
EUからの国債購入に担保条件を提示した中国の優れた国際戦略
言論の自由があるのに日本の学者は真実を語らない
命を捨てても真実を言うのがほんとうの知識人
ほんものの知識人は「士大夫」でなければならない
「陽朱陰王」――昼間は朱子学、夜になると陽明学を学んだ佐藤一斎
日本の天皇の概念は明治新政府がつくり出した
今の憲法を護持する限り、日本はまだ独立国家とはいえない

第6章 「中華民族の偉大なる復興」はありうるか?
「日本を中国にぶつける」という戦略は転換された
なぜ中国は湖南省の長沙に世界一の高層ビルを建てるのか?
長沙の超高層ビルは中国の「バブル崩壊の象徴」になる?
宋の政治家・王安石はケインズが生まれる前のケインズ主義者
「民族の偉大なる復興」を唱え始めた習近平新政権
急発展する重慶市は、上海が壊滅したときの最後の拠点
すべての最先端、採鉱技術はすべて中国が握った
尖閣諸島を奪えば、習近平は鄧小平を超えた偉大な指導者になれる
世界一の金産出国家になった中国
李克強首相が唱える「農村を都市化する」政策とは?
李克強首相の「都市化後送」は実現するか?

終章 中国を根底で動かした愛国思想化の系譜
王朝が替わっても、知識人階層には中国を支えていくという自負があった
南宋の宰相・秦檜と、武将の岳飛との極端に異なる評価
異端の思想化・李卓吾はあらゆる知識人の共通の敵
下野して自分の思想や学問に没頭した黄宗義と顧炎武
『明夷待訪録』を書いた黄宗義は中国のルソーか
「唐詩宋詩」は雲の上の世界、「元曲」は庶民の暮らしを描く
異端思想を抱く知識人たちを徹底的に弾圧した清王朝
章炳麟の「国学」とは、一種の「サラダボール」のような学問
「立憲君主制」を唱えた康有為や梁啓超は卓越していた
新王朝の皇帝と日本の皇室との根本的な違い
中国では革命を起こすときはいつも宗教的なやり方をする
今も、庶民に人気がある反儒教のエリート、反体制の人物
李卓吾を、300年経ってから再評価した王国維
異民族の支配以上に、毛沢東共産党政権により伝統が破壊された中国

おわりに―副島隆彦

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